州崎第一砲台
(見物砲台)

昭和7年10月竣工(1932)
千葉県館山市加賀名字天沼64


千葉県西岬村(当時)の開けた田畑の突き当たりの台地、標高40m付近に
軍艦生駒の前部主砲45口径30cmカノン2門入砲塔が備え付けられていました。

ワシントン軍縮条約によって廃艦になった生駒の前部砲塔を、横須賀海軍工廠にて陸上砲台向けに改造、
見物海岸に構築した桟橋まで蜻州丸(砲塔運搬用に建造された特殊船。150t起重機1基、20t起重機1基を備える)で運び、
そこから陸揚げして台地まで運搬据付けしました。

西岬小学校の裏手にある平らな台地に砲塔砲台跡が残っています。
周囲はすっかり宅地造成され、地下構造物や換気口がむき出しになっています。

 

巨大な砲塔井。
造成時に撤去しようとした痕跡がありますが、頑丈すぎてできなかったようです。このまま残してもらえると嬉しいのですが・・・

 

鉄筋コンクリート製3.5mもの掩護厚を持ち、その深さは13.8m。
主動力は120馬力ディーゼル機関1基、10トン水圧蓄力機1基で、砲塔の旋回・火砲の俯仰・発射などは全て水圧コックの開閉で行っていました。

ここに軍艦の砲塔があったなんて、ちょっとイメージできません。

館山湾を一望できる場所。
三浦半島の浦賀水道までも射程にとらえていたそうで、凄い威力ですね。

旧日本陸軍築城部の浄法寺朝美氏が、著書「日本築城史」のなかでこの砲台の試射について記述しています。

「昭和6年(1931)12月、試験射撃を実施したが、正に壮観で、発射の火焔・物凄い爆風(弾道からかなり離れて飛んでいたトンビが叩き落され、斜面保護の蓆(ムシロ)は吹き飛んだ)巨大な砲身の振動・大島水域への弾着と反跳の水煙など、今でも眼前に彷彿とする。」